コロナ休校中、小3の息子と、「せっかくだから何か時間がたくさんいるようなことをしたいね」という話になった。
いつもなら、シリーズものの本を一気読みするということになったのかもしれないけれど、時節柄、図書館も休館中。
古本でもすべて買い揃える金銭的な余裕はなかったので、違うことをと考え、そこで思いついたのがテレビ、しかも私が子どものころ毎週楽しみにしていた「世界名作劇場」だった。普段あまりテレビは見ないし、かなりのボリュームがあるから、ピッタリだ。
幸いdアニメストアで見られることがわかったので、初心者の息子に合わせて、ハイジからスタートすることに(ここで、ハイジはハウスの「世界名作劇場」ではなくて「カルピスまんが劇場」だったことが判明)。
ハイジの世界に夢中になる息子の姿は、予想通り。アルプスの美しい景色、ハイジやおじいさん、山小屋、パンとチーズ、モミの木、ヨーゼフや子ヤギのユキちゃんに心奪われ、歌を歌いながら踊り回る。
ハイジを見ている期間は、心のどこかをアルプスやフランクフルトに置いてきてしまったようだった。
私はもうハイジではなく、おじいさんだった
意外だったのは、自分の反応の方。
実は、私、大人になってから1度、アニメの再放送をチラッと見たことがあるのだ。
そのとき、ほんの数分のうちに「ハイジって、こんなにうるさかったっけ?」と驚き、あんなに好きだったハイジをうるさいと感じてしまったことがじんわりと悲しかった。
だから、息子にすすめながらも少し心配だったのだ。私、ハイジを楽しく見られるのかしら、と。
でも、さらに驚いたことに、印象は一変していた。ハイジ、すごくかわいい!
その理由は、やはり、歳を重ねたことと、子どもを持ったことなのだろうと思う。
子どものころは、ハイジやクララ視点だったのが、今やクララのお父さんであるゼーゼマンさんを通り越し、もはやアルムのおじいさんだ。
それから、草の上をコロコロと転げまわって喜ぶハイジが、身体からも感情があふれてしまうタイプの子どもなのだということがわかったのもおもしろかった。
ぼんやりタイプの私は、子どもの頃でさえ、いくら子どもでもこんなことしないよと思っていたのだ。でも、息子は、身体でも感情を表現する子どもで、それは、ハイジの動きそのものだった。
そのほかにも、ハイジをおじいさんのところへ置き去りにした挙句、突然現れてクララのところへ連れて行ってしまうおばさんのデーテが、「体の弱いクララが死んでしまえば、悲しんだゼーゼマンさんがハイジを引き取るだろう」なんて発言をすることに衝撃を受けたり(子どものころはスルーしていた)、
ヨーゼフの耳の動きが実家のニューファンドランド犬にそっくりなことにときめいたりもした。
そんなふうに、最終回まで楽しく見ることができた。でも、思っていたよりも、あっさりしていたように感じたのは確か。
原作が読みたくなる
ところで、「あっさり」と感じたのは、何もアニメが悪いわけではない。どうも、私の記憶が、原作とごちゃごちゃになっているようなのだ。
たとえば、私の大好きなクララのおばあさま。私は、「ハイジ」で好きな登場人物を聞かれたときは(あまりないけれど)、小学生のころから一貫して「クララのおばあさま」と答えてきたくらいのおばあさまファンだ。
おばあさまは、フランクフルト(都会)での生活や厳しいしつけに元気を失うハイジに寄り添うあたたかな存在。しかも、ただ寄り添うだけでなく、導く人でもあり、ハイジに文字― 本を読むこと― を教えてくれる。
自然とは違う、また別の豊かさをハイジに伝えてくれる重要な登場人物なのである。
アニメのおばあさまも、やさしくておもしろくて、文字も教えてくれる。でも何かもう一歩、足りない。
また、アニメには、登場人物それぞれの中にうずまくものについてもほとんど出てこない(たとえば、おじいさんについても、アルムのおんじは人を殺したことがある、という噂のみ)。
悲しみや怒り、恐れなどが、ハイジと触れ合うことでだんだんと昇華されるさまは、子ども心に胸につかれるようなものがあったのに、これも原作にしかなかったのかも。
でも、それが見たかった!
というわけで、おじいさんの過去に興味を持った息子も原作を読みたがっていることもあり、今、本の購入を検討している。
私が子どものころ読んだのは、学研の「少年少女世界文学全集」に入っていた『アルプスの少女』で、訳は関楠生さん。ほかの訳も読んだことがあるけれど、家にあったこの本を1番読んでいるはず。というわけで、これが読みたい。
でも、息子にはもう少し手に取りやすいサイズの方がいいかな、ということで、現在悩んでいるところ。
※岩波少年文庫や偕成社文庫も気になっています……。
「息子のために」は「私のためにも」
息子と一緒にアニメ「アルプスの少女 ハイジ」を見る。
見始める前は、なつかしさが楽しいだろうけれど、でも、私はそんなに一生懸命には見られないかな、と思っていた。
ところが、私もしっかりとテレビと向かい合って見たし、真剣な息子を見るのもうれしかった。
そして今や原作にまで手を出そうとしていて、息子とドイツパンを食べる約束もした。
楽しい! でも、私の予想なんて、本当にあてにならないなあ。
学校は再開され始めているから、もう「まとまった時間」はないのかもしれない。でも1話30分、少しずつ見るのもいいな、ということで、私たちの心は、今、フランスのマロクールにいる。
そう、「ペリーヌ物語」をおいおい泣きながら見ております。
なつかしのアニメを子どもと一緒に見る。子どものためと思っても、心から子どもによかれと思うものは、結局自分にもいいのだ。