「かわいそう」という小1の壁

秋。新小1のための準備も始まって、「小1の壁、どうだった?」「ほんとにあった?」と聞かれることが増えてきた。

私の答えは……(ジャジャーン)「あった!」。それは、たとえばこんなこと。

・感染症の不安の増加
・学校行事の振替休日
・各種フォロー(主に宿題と持ち物)
・時間のやりくり
・情報の減少
・学校行事(入学式、PTA、授業参観・懇談会、家庭訪問と、4月は毎週学校だった)
・PTA(息子の学校は、特に役員でなくても朝夕合わせて5種類のお当番がある)
・長期休み(過ごさせ方。お弁当作り)

わが家の場合、外で気を遣うタイプの息子が新しい環境で疲れてしまうのは分かっていたので、4月はできるだけ仕事を抑えて、何かあったときサポートできる体制をとっていた。先輩お母さん方から「小学校は、働くお母さんには優しくないよ」と聞いて覚悟もしていたつもり。なのに。

4月は毎日ぐったりだった。

ランドセル

特に私が落ち込んだのは、これ。

1年生の目印である黄色い帽子やランドセルカバーが目立つのか、夕方息子と歩いていると、声がかかるようになったのだ。

「1年生なのに、こんなに遅くまで学校なんてかわいそうね」

お、おー……。

ほぼ1ヶ月続いたこの声かけ。ほとんどが否定的な言い方だったけれど、中には「がんばってるね」という意味で言ってくださる人も。

でも、出てくるのは冷や汗ばかり。なんなら涙も出んばかり。その場をなんとかやり過ごし、一路、家を目指す毎日だった。

そしてそんな中、息子も「世の中にはいろいろな環境の子がいる」ということに気づく。

今まで、「大人はみんな働いていて、その間子どもはみんな保育園にいる」と思ってきたのに、「お昼前におうちに帰っている子がいる!」「おうちでおやつを食べている子がいる!」「昼間にお母さんと遊んでいる子がいる!」― えええ!? 

心底驚き、うらやましく思ったようだった。

保育園から小学校に上がってから、夜あっという間に眠るようになった息子。早く家に帰ってこられたら、きっともっと楽なはず。疲れたその姿に湧いてくるのは、「かわいそう」と言われても仕方ないのかもしれないという思いだった。

私にとってそれは、「いやいや、学童でだっていいことあるよ」とか「みんなそれぞれの事情があるんだから」とか、そういうものとはまた別の問題だったのだ。

でも、だからこそ、より強く思ったのは、息子の人生の当事者は息子であること― 学校という小さくて濃い社会で精一杯生きていること― を忘れてはいけない、ということだった。

「大変なこと」はあくまで私にとって大変なこと(※)で、息子の気持ちとごちゃごちゃにしてはいけない。私の大変さに息子を巻き込まない。でも、もし息子にとって困ったことがあれば、それにはもちろん、一緒に立ち向かおう。

(なーんて思ってはいましたが、何かあるたびにがっくりくたびれて、いつまでたっても保育園を恋しがる私よりも、息子はよほどたくましく前向きだった、のですけれど、ね)

さてさて、GW明けには(見慣れたからか)、「かわいそう」と言われることはほぼなくなったけれど、最近暗くなるのが早いせいか、またちょこちょこ声がかかるようになってきた。

でも、気にかけてくれているんだなあと思えるくらいには、私にも余裕ができていて、多少嫌味を言われても、心の中で悪態をつきストレスを溜めないようにもできるようになっている(ニヤリ)。 1番しんどかった「心の」小1の壁が限りなく低くなっているのだと思う。

ちなみに、学校帰りに知らない方からかけてもらってうれしいことばは、息子も私も同じで、「おかえり。気をつけてね」。

サラッとしているけれど、優しくて、「今日も1日終わったなー」とほっとすることば。もし、いたわりや応援の気持ちを「かわいそうね」と表現されている方がいたら、「おかえり」、おすすめです。

※本当に大変なのはまぎれもない事実。 きっとどのお母さんも各項目で延々と語れると思います。でも、それはまた別のおはなしで。

  • URLをコピーしました!
目次